こんにちは。中村佳太です。
先日、近所にある料理教室と暮らしの雑貨のお店『Relish』で開催されたトークイベントを聴きにいってきました。荒物問屋『松野屋』代表の松野弘さんとRelishを主宰する料理家の森かおるさんによるトークイベントで、様々な荒物道具がどのように作られているかを映像を見ながら松野さんが解説してくださるイベントでした。
ところで、みなさんは「荒物(あらもの)」とは何かご存じでしょうか?
「もちろん知ってるよ!」という方も多いのでしょうが、正直に告白すると僕は今回この言葉を初めて知りました。松野屋のWEBサイトでは次のように説明されています。
荒物という言葉自体、近ごろあまり耳にしなくなったが、ほうき、ちりとり、ざるなど、ちょっと前まではどこにでもあった簡単なつくりの日用品のこと
荒物は民藝と同じように人の手が生み出す日用品のことだが、それは民藝のいうところの「民衆的手工藝品」ではなく、より普通の人びとの日常の暮らしに根差した「民衆的手工業」から生まれる日用の道具たちだ
「民衆の手により作られた日常使いの手工業製品」といったところでしょうか。
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映像には日本家屋の一角や小さな町工場などで、それなりにご高齢のみなさんが手作業や古い機械を使ってほうきやたらいなどを作っている様子が映っていて、その職人的な手さばきや技術に見入ってしまいました。
松野さんによると、現在荒物の製作に携わっている方はほとんどが高齢者だそうです。ただ、同じ村の住人などが会社を定年退職したあとにお手伝いに入り、そのまま技術を継いでいくケースなどがよくあるとのことです。子どもの頃から修行し、親から子へと伝統技術を引き継いでいく伝統工藝や民藝など(もちろんすべてがそうではありませんが)とは、こういった点でも違いがあるように僕は感じました。
荒物産業の担い手たちは、老後の仕事として、生涯にわたる現金収入の糧として、その仕事に携わっていることも多いそうです。そういった話の中で、松野さんがおっしゃっていた次のような言葉が強く印象に残りました。
いまは多くの企業やお店がベストなもの、ナンバーワンのものを目指しているように思う。荒物は「荒」とついている通りどこかに「荒さ」や「雑さ」があって、それがいい。ベストでもベターでもなく、かといってワーストでもない、ナイスなものに僕は魅力を感じるし、そういったものを買い続けることで担い手たちを支えたい
定年後に仕事を少しずつ引き継いでも、当然、しばらくの間は技術が先人に追いついていなかったりするそうです。「それでもいい」と松野さんはおっしゃっていました。その「荒さ」がいいんだと。
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資本主義社会の中では企業もお店も一人の人間も、あらゆるレイヤーで競争を強いられ、勝つこと、「ナンバーワン」になることを目指すよう駆り立てられます。その結果、やみくもに成長を求めたり、他社(他者)との差別化を図り「オンリーワン」な存在になろうとする。そうして人々も社会も疲弊していく。
僕たちは日々コーヒー豆を焙煎して届けています。今回松野さんのお話を聴いて自分の中であらためて気がついたのですが、僕たちもものづくりの過程において「ナンバーワン」も「オンリーワン」も目指してはいません。日々の作業として、その日その日の「ナイス」な仕事がしたいと思っています。もちろん技術は磨いていくし、もっと美味しいコーヒー豆が焼きたいと思い工夫も重ねていく。でも、それはあくまでも日々の仕事の積み重ねの結果であって、毎日の仕事で目指しているのは「ナンバーワン」でも「オンリーワン」でもなく「ナイス」なコーヒー豆です。そこには日々の気候の変化や僕の体調や心の状態によって多少の「荒さ」が入り込む。僕たちはそれを無理矢理排除したいとは思わないのです。人間がものを作ることの意味と楽しさがそこにはあるように思うからです。
「ナイス」なものづくりを楽しむ人々が増え、「荒さ」のある商品を受け入れる社会は、いまよりもっとゆとりと豊かさがあるように僕には思えます。
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行きたかったー!!
松野さんのお話、とても良いですよね。
ものとそれをつくるひとと、その周りの環境⁇によって引き継がれていく民衆的手工業は、これからもなくならないで欲しいなと思います。
今度、またmumokutekiでも松野さんのトークイベントと、きぬ子さんのワークショップができたらと思ってますー!