こんにちは。中村佳太です。
前回配信した「選択的夫婦別姓」に関するエッセイが著名人などのツイートにより拡散されて、多くの方に読まれました。その結果、直接的にも間接的にも賛否両論様々な声が届きました。反対意見の中には受け入れがたい言葉も多く見られて、それはとても残念です。ただ、賛成・反対の両方に僕にとっては気づきを与えてくれる意見があり、おかげで理解が深まりました。読んでくださったみなさん、様々な形でご意見をくださったみなさん、ありがとうございました。全部に返信することはできませんが、ご意見はすべて読んでいますし、今後の思考の参考にします。
僕の知識が足りていない部分も認識したので、これからも勉強を続けます。(知識不足は痛感しましたが、先の文章に修正の必要は感じていませんので、その点は強調しておきます)
先日のエッセイをきっかけにこのニュースレターに登録してくださった方も多いようで、このレターが初配信というみなさま、これからどうぞよろしくお願いします。エッセイのテーマは多様なので、それぞれの関心に応じて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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さて、さっそく今回のテーマは前回からがらっと変わります。「量子力学(りょうしりきがく)」について書きます。「何それ?全然興味無いよ!」という人も多そうですが、どうかご勘弁を。流し読みだけでもお願いします。
ことのきっかけは、先日、月に一度一緒に『雑考配信』をしているフリーランスの小嶌久美子さんがSNSに「量子力学って最近ちょいちょい聴くけど流行ってるの?」と投稿していて、僕が「そうなの!?」と驚いたのがはじまりです。というのも、量子力学は僕が学生時代に夢中になって勉強した物理学の一分野で、僕の青春の1ページを彩った大切な存在だからです。
そんな量子力学が世間で流行っているなんて放っておけない!というわけで調べてみると、たしかに“ちょっとしたブーム”くらいにはなっている様子。そこで、量子力学とその(ちょっとした)ブームの分析について書くことにしました。
量子力学とは何か?
まず、「量子力学(量子論)とは何か?」について簡単に説明しておきます。詳しい人はここは読み飛ばして大丈夫です。なお、僕は理学部の学生として学部生時代に量子力学に“ハマった”程度の人で、その後専門的に勉強したわけでもないので一部理解が足りていないこともありえます。なので、あくまでも参考程度に読んでください。(もし詳しい方で「ここ間違ってるよ!」という箇所を見つけたらご指摘ください)
ウィキペディアでは次のように説明されていました。
量子力学(りょうしりきがく、(英: quantum mechanics)は、一般相対性理論と共に現代物理学の根幹を成す理論として知られ、主として分子や原子、あるいはそれを構成する電子など、微視的な物理現象を記述する力学である
端的にいえば、人間の眼には見えないごくごく小さな世界の物理現象を記述する理論です。ミクロな世界は量子力学に従って動いている、ということです。
量子力学はいまからおよそ100年くらい前に体系化されて、ウィキペディアにもあるように同時代に発表されたアインシュタインの有名な「相対性理論(相対論)」と共に現代物理学の基礎的な理論となっています。それ以前は、有名人ニュートンの「古典力学(ニュートン力学)」によってこの世界の自然現象(より正確に言うと力学現象)はだいたいすべて説明できると思われていたところに、「相対性理論」と「量子力学」という2つのブレイクスルーが物理学の世界で起こり、人類の自然界への理解は飛躍的に進んだといえます。
「相対性理論」も「量子力学」も、僕たちが日常を暮らす中で持ち得る感覚とはだいぶズレた世界像を示しているので、どちらもすごく面白い(そして難しい)です。「相対性理論」でいえば、「時間の進み方は一定ではない」とか「重力によって空間はゆがめられる」などの解説が有名です。でも、学生時代の僕は「量子力学」の見せてくれる世界の方により強く惹かれました。それはたとえば、量子力学の理論に従う原子や電子などの「量子」は、「粒子であると同時に波(波動)である」とか、「観測されるまではあっちにいると同時にこっちにもいる、“重ね合わせ”の状態で存在する」などです。
「意味分からん!」って感じですが、実際に様々な実験がこれらが事実であることを示しているのだからしょうがない。僕らがどんなに「意味分からん!」と思っても、「世界はそのように出来ている」というのが量子力学が僕らに教えてくれていることです。そして、僕はそんな量子力学の不思議な世界に魅了され、青春の一時期を捧げたわけです。
量子力学ブームの3要因
いま世間で「量子力学が流行っている」と聞いて驚いた僕は、小嶌久美子さんに寄せられたコメントを見たり、ネットで調べたりしてみました。分かったことは、このちょっとした量子力学ブームの背景にはいくつかの複合的な要因が見られるということです。それは大きく「テクノロジー」・「SF」・「スピリチュアル」の3つに分けられそうです。ひとつずつ説明します。
要因1.テクノロジー
近年「量子コンピュータ」や「量子暗号」といった量子力学をベースとしたテクノロジーが新聞や雑誌にしばしば登場していて、結果その基礎理論としての量子力学にも注目が集まっているようです。ビジネス界やテック業界の人たちが「これからのトレンド」として押さえておくために勉強している、という面もありそうです。
それにしても、僕が勉強していた20年前、これらのテクノロジーは「いつかは実現する夢の技術」として習いました。それがいま現実化しつつあるのですから、科学者・技術者たちの努力と技術の進歩は本当にすごいです。
ところで、「量子コンピュータ」と「量子暗号」はどちらも上で紹介した「観測されるまではあっちにいると同時にこっちにもいる、“重ね合わせ”の状態で存在する」という性質が関係しています。簡単に説明します。
量子コンピュータ
「量子コンピュータ」は、量子が「あっちにいると同時にこっちにもいる」という、複数の状態の“重ね合わせ”で存在しているのを利用し、「複数の状態」のそれぞれで計算を同時進行させるコンピュータです。これによりスパコンを含む従来型の(「0」と「1」の組み合わせで計算する)コンピュータとは比べものにならない計算速度を生み出す、という理屈です。(技術的にどうやってそれを実現しているのかは僕にはさっぱりわかりません!)
量子暗号
一方「量子暗号」は、量子力学の同じ性質の中の「観測されるまでは」という部分を利用しています。ここは量子力学の不思議な世界の中でも特に衝撃的な部分なのですが、量子は何かしらによって「観測」されることでそれまでの状態の“重ね合わせ"が解け(「収縮する」といいます)、ある一つの状態に定まります。観測するのは人間でも装置でもよいのですが、とにかく「観測」という行為が量子の状態を変化させるというのが量子力学の衝撃的なところです。だって触っているわけでもなく、ただ「見た」だけで状態が変わるんですよ!
たとえばある1つの原子が入った箱があったとします。その箱のフタを開ける前は、原子は箱の中のあっちにもこっちにもいる“重ね合わせ状態”で存在しているのに、僕がフタを開けたらある特定の場所に存在しているのです。注意してほしいのは、これは僕がフタを開けたからそこにいることが“分かった"(その前はどこにいるのか分からない)という意味ではありません。フタを開ける前は本当にあっちにもこっちにも同時にいる状態だったのです。(だからこそそれぞれに計算させる量子コンピュータが作れるわけです)
ほんと意味がわかりません。でも、繰り返しますがいまのところ「世界はそのように出来ている」と考えるしかないんです。(有名な『シュレディンガーの猫』はこのあたりの話の不可解な(矛盾ともいえる)部分を思考実験としてわかりやすく指摘したものです)
話を「量子暗号」に戻すと、ある暗号を作りその暗号を解く「鍵」を量子力学的に作って通信相手に送ったとします。通信の途中でもし誰かがその鍵を盗み見たら(つまり「観測」したら)その鍵はある特定の状態に収縮し、収縮前の状態には決して戻ることはありません。通信途中で鍵が収縮したのなら、誰かに盗み見られたことは確実なので、その時点でその暗号を無効にしてしまえば通信の安全姓は確保されます。これまでの暗号は暗号を複雑化することで情報が盗まれるのを防いできましたが、複雑な暗号を作ることと、その暗号を解読することは常にイタチごっこの状態です。でも量子暗号はそうではなく、情報を盗まれる前に“原理的に必ず"検知できるのです。つまり、誰にも盗めない。暗号の世界が根本的に変わる技術です。(こちらも技術的にどうやってそれを実現しているのかは僕にはさっぱりわかりません。。)
要因2.SF
量子力学の不思議な世界は、サイエンス・フィクション(SF)にとっても大きなインスピレーションの種となってきました。SF作品をきっかけに量子力学に関心を持つ人も多いようです。特に最近の量子力学ブームに影響していそうなのは昨年公開された映画『TENET テネット』です。
「時間の逆行」をテーマにしたこのSF作品では、劇中やネット上の解説などに「対消滅」や「反粒子」といった量子力学の用語が出てくるので、この映画を理解したくて量子力学の解説書に手を伸ばした方が一定数いるようです。ちなみに僕はこの映画を先日2回連続で観ましたが(1回では全然理解できなくて、2回観たらめちゃくちゃ面白かったです!)、この映画の核となっているのは「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」という「熱力学」の理論と「量子力学」の反粒子に関する理論の合わせ技だと僕は理解しました。(詳細は省きます。このあたり誰かと語り合いたい!)
さて、最近の量子力学ブームの背景となったSFが『TENET テネット』だとして、これまでにも多くのSF作品が量子力学に着想を得てきました。僕が触れたもので印象に残っている作品は、哲学者の東浩紀さんによる三島由紀夫賞を受賞した小説『クォンタム・ファミリーズ』です。そもそも「クォンタム」とは量子のことなので、タイトルからして量子力学がモチーフになっていることを示唆しています。この作品の核となっているのは、量子力学に登場する『多世界解釈』です。これがとんでもなく面白い概念なので、説明させてください。
多世界解釈
先ほど量子は観測されることでそれまでの状態の“重ね合わせ"が解け(収縮し)、ある一つの状態に定まる、と書きましたが実はここには問題があります。“重ね合わせ"が解けるとき、一体何が起こっているのかが分からないのです。観測する前は“重ね合わせ状態"にあることは分かっていますし、観測後は一つの状態に定まることも分かります。ただ、その境目で何が起こっているのかが分からないのです(これを「観測問題」と呼んだりします)。
分からないから、そこには様々な解釈(仮説といってもよいです)が生まれてきました。その一つが「観測したときに瞬時にギュンと1つの状態に収縮する」という説明です。これは『コペンハーゲン解釈』と呼ばれるもので、代表的な説になっています。
そして、もうひとつの有名な説が、「観測したときに、世界は量子が<あっちにあった場合の世界>と<こっちにあった場合の世界>に分岐する」と考える説です。僕はたまたま<量子がこっちにあった場合の世界>に生きているのでこっちに量子を見つけますが、同時に<量子があっちにあった場合の世界>も別に生まれて存在し続けていて、そちらの世界にいる僕は量子はあっちにあったと思っている、でも、それはこっちの世界にいる僕には知るよしもない、というわけです。これを『多世界解釈』といいます。多世界解釈によれば、世界はどんどん分岐を続け、どんどん増え続けていることになります。でも、それで特に問題は起きないし、別の世界のことは僕たちには分かりません。
東浩紀さんの『クォンタム・ファミリーズ』は、この多世界解釈をモチーフにしたパラレルワールド小説になっています。ちなみに、『TENET テネット』に「多次元世界」というセリフが出てくるのですが、これは『多世界解釈』に基づく別の世界群のことを指しているではないかなと思ったのですが、当たっているかは分かりません。
また、今回は触れませんが、「観測が世界の状態を変える」という量子力学のこの衝撃的な帰結は、人間(生物)の意味や意識の意味、人間と世界の関係性などに問い直しを迫ることになり、哲学や思想にも大きな影響を与えました。そう考えると、哲学者である東浩紀さんが小説の題材にしたのも自然なことだったのかもしれません。(量子力学に限りませんが、現代科学の哲学や思想への影響はソーカル事件へとつながり、一大論争の原因にもなります。興味のある方は「ソーカル事件」で検索したり、『「知」の欺瞞』を読んでみてください)
あぁ面白い!20年前の僕が魅了されたのも頷けますね。
要因3.スピリチュアル
最後に、もしかするとこれが今の量子力学ブームの中で一番大きなウェイトを占めているのではないかとすら思えるのが、スピリチュアル系の人々が語る「量子力学」の存在です。
実はちょっと前からツイッターで「量子力学」という単語をときどき見かけていて、その多くがスピリチュアル系のアカウントでした。また、最近流行した音声SNSのクラブハウスでも「量子力学コーチ」なる単語を冠したルームをよく見かけ、それなりの人数を集めているのも気になっていました。
少し調べてみるとこれは今に始まったことではなく、自己啓発やスピリチュアル系の業界には以前から量子力学が登場していたようです。量子力学の不思議な世界が自己啓発やスピリチュアル系と相性が良かったということなのでしょう。特に量子力学における「波動」や「人間の観測が世界を変える」といった概念が利用されているようです。
いくつかの記事を読みましたが、僕が特に興味深く感じ、そして同時に問題だと思ったのは『VOGUE JAPAN』のWEBに掲載されていたこちらの記事です(後編はこちら)。記事にはこんな記述があります。
私たち人間の身体を細かく見ていくと分子でできていて、その分子は素粒子で構成されており、そのなかに波動でできている物質があるのだそうです。感情や意識には周波数があって、ポジティブな感情は周波数が高く、その逆でネガティブなものは周波数が低い。負の感情は、量子力学のミクロな世界にも影響を与えて、自分の波動が低くなってしまうのだということでした
まず強調しておかないといけないのは、たしかに量子力学に「波動」は登場しますし重要な概念のひとつなのですが、それと「感情の周波数」は一切関係がありません。そのため当然のことながら「負の感情は、量子力学のミクロな世界にも影響を与えて、自分の波動が低くなってしまう」などということは量子力学的に説明できることではありません。
さらに記事にはこんな記述もあります。
占いやスピリチュアルに抵抗を感じる人でも、科学の裏付けがある量子力学なのだと言われたら、受け取り方も変わるかもしれませんね。目の前に、ポジティブになったヒカリさんというエビデンスも存在するわけだし
先に書いたように、この記事で説明されている内容に量子力学は一切関係がありません。にもかかわらず、「科学の裏付けがある量子力学」や「エビデンスも存在する」などと、まるで科学的に説明ができるかのように書かれていることには驚くほかありません。
記事の最後に下のような免責文が掲載されていました。
占い情報コンテンツで示唆された内容の正しさや効果について(中略)保証するものでもありません
当該コンテンツをご覧になることにより、視聴者は当該コンテンツが娯楽を目的としたものであることに同意したものとみなします
根拠の無いことをまるで科学で証明されているかのように書いておいて、「娯楽だから責任は無い」というのはメディアとして問題があると僕は思います。
なお、他にも量子力学の用語を使って、「量子力学によれば人は意識によって良い未来を引き寄せられる」などといったことを謳い、その方法をコーチングすることで利益を得ている人たちもいるようです。(検索するといっぱい出てくるので、興味のある方は読んでみてください)
読者の中には「そんなの占いや娯楽の類ではないか、そんなに目くじらを立てなくても」と思う方もいるかもしれません。でも僕がこれらを問題視するのは、「量子力学」という物理学に実際に存在している言葉を使い、まるでその同じ量子力学が根拠となっているかのように語られているからです。「量子力学に着想を得て、人々を幸せにするコーチング理論を思いつきました。実際の量子力学とは関係がありません」というスピリチュアルならば「あり」かもしれませんが、そうではなく、科学的に証明されているかのように語るのは危険です。人々に誤った認識を与える上に、科学を誤った形で(場合によっては商業的にも)「利用」しているからです。
物理学のアカデミアには、こういったものに「科学的には誤りである」としっかりと対応して欲しいと思います。誤った認識が広がった先に、笑いごとでは済まない事態があり得ると、最近の陰謀論渦巻く世界を見ていると思えてきます。(似非科学と陰謀論に関しては、Netflixで配信されているドキュメンタリー『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』が考えるヒントを与えてくれます)
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「量子力学がブームらしい」と聞いたことをきっかけに、量子力学について熱く書いてきました。どうやらブームの要因は一つではなく、様々な背景が複合的に重なっているようです。(今回の3つ以外にも要因はありそうでした)
かなり長くなってしまいましたが、僕はこの文章をとても楽しみながら書きました。このエッセイが僕の自己満足だけでなく、誰かにも楽しんでいただけるものになっていたら、とても幸せです。
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中村佳太(コーヒー焙煎家/エッセイスト)
学部生時代に量子力学にハマるも、その後はコンピュータシミュレーションにハマって大学院では惑星系形成論のシミュレーションをしていました(飽きっぽい!)
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