こんにちは。中村佳太です。
今回は『ナカムラケイタのお悩み相談室』の第7回です。
お悩みは随時募集中です。これを読んだ方で「自分も相談してみよう」と思った方は「お便りフォーム」からお寄せください。お待ちしています。
それでは、今回のお悩みをご紹介します。
私はたまに気を抜くとケチ癖が出てしまいます。自分が奢る、お金出す!と決めているときはお金を出しますが、自分が出せる状況にあるのに友人に出してもらうことに、結構甘えてしまいます。後からケチとか思われたのでは、、出せばよかったかも、、、と後から後悔することもあり、だったらお金をいつも割り切りよく出せばよいのですが、そんなに羽振りのよくない自分もいて、どうしたものだか。。意識してお金を出すようにしたいとも思いつつも、なかなか。お金の使い方って難しいですね。
(K/京都)
相談文を読んだとき、正直、「おごってもらっちゃえばいいじゃん」と軽々しく思ってしまった僕なのですが、一方で少し考えてみると、僕はあまりおごられるのは好きじゃないなぁとも思いました。なんだか相手に「貸し」を作る感じもあるし、そのせいで感謝しなくちゃいけないような、変に「支配」されたような感覚になるのが好きではないのだと思います。
Kさんの場合には、「相手からケチだと思われたくない」という「みえ」や「虚栄心」のような感覚もありそうです。
でも、これってたぶん僕やKさんだけでなく、みんなが少なからず感じているモヤモヤなんだと思います。「おごる/おごられる」という行為には、なんとも様々な心理的作用が働くのだなぁと考えさせられました。
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お会計の場面についてもう少し深堀りしてみると、例えば「割り勘」や「チップ」など、文化圏や時代、世代によって様々なカルチャーが存在していることが分かります。
僕は思うのですが、「お金を出す/出してもらう」という行為はそのカルチャー内における一種のコミュニケーションと捉えることができるのではないでしょうか。気持ちや感情を言葉で伝えるのではなく、「お金を出す/出してもらう」という行為を通じて表現している。仕草や表情などと同様のノンバーバル・コミュニケーションの一種だと捉えることはできないか、と思うのです。
コミュニケーションである以上、そこには常にその場所・その時代のカルチャーの影響や相手との相互作用があるので、一通りの正解はありえません。相手との関係性や相手の気持ち、加えて時代の空気感などを考慮しながら、その時々で判断するしかないのだろうと思います。
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ここまで、なんともお悩みの解決にはつながらなさそうな当たり前のことしか言えてない気がしてきましたが、実際に取り組めるアクションの案としてひとつ提案です。
一定期間、必ず自分がお金を出すと決めて、おごり続けてみるのはどうでしょう?相手が年上だろうとお金持ちだろうと関係なく、必ずおごり続けるんです。(期間は自分の財力と相談ですね)
そうすると、「自分がケチだ」との感覚になることは無い代わりに、おそらく別の違和感が生まれてくるように思うのです。だって、一方的で型にはまったコミュニケーションなんて存在しませんから。もしかするとその違和感の先に、Kさんの「なぜケチってしまうのか」「なぜケチだと思われたくないのか」という悩みの本質が見つかるかもしれません。
もしこのアイデアを実践されたら、ぜひその結果をお便りしてください。僕も気になります!!
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