なぜコートをはみ出てはダメで、なぜ手を使ってはダメで、なぜ大きなバットや四角いボールではダメなんだろう?
直接は関係ないんだけど、この記事を読んでふと思ったことがあって。
僕はスポーツ競技を「する」のも「見る」のも好きじゃないんだけど、それはスポーツ競技が「ルールが全て」だからというのがあるのかもしれない(「する」の方は単に運動が苦手だからというのは大いにある!)。
ルールを理解し、ルールを守って、同じルールの中で体力や技術を競い合うことがスポーツ競技だとされる。
多くのスポーツに「コート」があってそこからはみ出したらダメだし、サッカーは手を使ってはダメだし、野球は決まった形のバットで決まった形のボールを打たないとダメ。
でも、なぜコートをはみ出てはダメで、なぜ手を使ってはダメで、なぜ大きなバットや四角いボールではダメなんだろう?
スポーツ競技が好きな人は、「ルール」が競技の公平性を保ち、「ルール」という制限の中で競い合うからこそ「面白い」のだということなのだろうけれど、「いつだってルールは変えるためにある」と思って生きている僕にはそれがよくわからないんだと思う。
もちろん社会には法律などを含めいつだってルールが必要なのだけれど、でもそれはみんなで生きるこの社会を最低限維持するために仕方なく作られるものであって、何かを面白くするために作られるものではない。
ところでそう考えてみると、これはスポーツ競技に限った話ではなくて、あらゆる「競技」に言えることだよね。
僕はスポーツ競技に限らず、将棋や囲碁などにもほとんど興味が無いし、コーヒーの競技会にも興味が無い。
コーヒーなんて、どうやったっていいのになんでわざわざルールを作って競技にするんだろうね?(ほんとはその理由をだいたい知ってるし、良い面があることも知ってるよ)
資本主義の下で肥大化したスポーツや、学校教育にズドンと浸み込んでいる(部活に代表される)スポーツは、「ルールを理解し、ルールを守り、それをはみ出さずに上手に活躍する人間」を生み出す傾向にあるんじゃないかと思う。
体育会系って組織で重宝されるもんね。
スポーツ競技や囲碁や将棋やコーヒー競技会のルールと違って、社会のルールは変えられるし、変えていかないといけない。
子供たちに教えてあげようよ。
”今あるルールを疑おう!”
”ルールは従うものじゃない、自分たちで作るもの!”
「野球は坊主頭」なんてクソくらえ!だぜ。
◎お便り&シェア&登録、大歓迎です◎
お便りフォームにて、あなたのお悩み、質問や感想など何でも受け付けています。それから、各配信のシェアやコメントも大歓迎です!
このニュースレターへの登録もお忘れなく◎