ナカムラケイタのエッセイ配信

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「僕は女性差別をしていません」
keitanakamura.substack.com

「僕は女性差別をしていません」

加害者側の差別認識と構造的差別

中村佳太|Keita Nakamura
Mar 3
6
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「僕は女性差別をしていません」
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昨年雑誌『Standart Japan』(18号)にコーヒー業界のジェンダーギャップを指摘・批判するエッセイ『僕の周りのジェンダーギャップ』を書いた。また、先日うちの店を取材してくれるメディア向けに『ジェンダーギャップ解消のためのメディア関係者へのお願い』と題した文書を書き、取材依頼のあったメディアに送付するのに併せてツイッターにも投稿したところ、少々バズった。(この投稿をきっかけに新聞の取材を受けたりもした。ツイッターの力ってすごい)

こうした発信が広がることでオンライン・オフライン問わず反応をもらうことが増えたのだけれど、その中で実感したことがある。ジェンダーギャップや女性差別の話題に触れた男性の中に「思い返しても僕は女性差別をしていません。安心しました」といった反応をする人が多くいるのだ。

「その人が差別をしてなかったんだから、それって良いことでしょ?」と思う人もいるかもしれないけれど、そんなことはない。この発言には大きな問題がある。今回はそのことについて書こうと思う。

◇

この発言の問題点は大きく2つある。

一つ目は、自分が差別をしているか(してきたか)を男性自身が判断してしまっていることだ。男性が女性に対して女性差別をする場合、男性は必ず加害者側になる(女性が女性に対して女性差別をすることもあり、そのことには留意が必要だけれど、今回は男性による女性差別の話をする)。

たとえばいじめがあったとき、いじめていた側が「いじめてたつもりはなかった。遊びのつもりだった」と語るのはよくあることだろう。ここで、いじめていた加害者たちは、他の人が自分と同じことを誰かにしていた場合にはそれを「いじめ」と判断できる場合でも、自分自身のこととなるとその判断がつかず「遊びのつもりだった」ということになってしまうのは多くの人が想像できるのではないだろうか。自分自身のことには多くのバイアスが掛かってしまい、客観的に判断するのは誰だって難しい。

男性が女性差別をする場合でも、同じことがいえる。加害者側である男性がどんなに差別をしていない(してこなかった)と感じても、それは決して差別がなかったことは意味しない。「差別がなかった」と判断できるのは、被害者側および客観的な立場にいる第三者だ(いまの男性優位社会では、第三者ですらその判断を誤ることが大いにあり得る。残念ながら)。

加えて、差別は「無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)」によって引き起こされていることも多い。お尻を触るなどの分かりやすいセクハラであれば「した/してない」を自分でも判断できるかもしれないけれど(忘れていなければ)、無意識の偏見から生じる差別は気づかぬうちにしてしまっている。なんせ無意識なのだから。

たとえば夜遅くまで残業をしている女性に対して「夫は夕飯どうしているの?」と何気なく質問したとき、それは「食事は女性が作るもの」との性別役割分担が無意識の偏見としてベースになっていることが多いだろう。これは立派な差別である。(この発言は男性からも女性からも発せられる。後者の場合には「女性による女性差別」の例になる)

だから僕は、自分が差別をしていない(してこなかった)などとは絶対に言えない。上で述べた通り、自分自身にはそれを判断する資格がそもそも無いからだ。だからこそ、自身の差別行為やバイアスを誰かに指摘されたら、素直に受け入れる心構えを持っていたいと思う。漫画家の楠本まきさんはnoteに次のように書いている。

今まで気づかずうっかり自己の偏見をそのまま垂れ流してきてしまっていたとして、たとえば担当さんに言われて初めて気づいたら、そこで悔い改めるなり恥じ入るなり、身悶えして変わればいいじゃない。誰もそれによって傷つかないし、困らない。祝福だってするだろう。

僕たちは身悶えしながらも変わり続けることが必要だ。それで世界は少し良くなるんだから。

◇

男性が「僕は女性差別をしていません」と話すことの問題点の二つ目は、この発言が構造的差別を考慮していないことにある。

どういうことかというと、たとえあなた自身が偏見や差別意識を持っていなかったとしても、社会の制度や文化などの社会構造によって差別が引き起こされたり、あなた自身がそれによって知らぬ間に差別に加担してしまっていたりするということだ。

たとえば「男性の方が女性よりリーダーに向いている」という価値観(これは誤った価値観です。念のため)が蔓延した社会においては、男性であるあなた自身はその価値観を持っていなかったとしても、社会構造はあなたがリーダーになるのに有利に動く。社会構造に支援されてあなたがリーダーになった場合、あなたは結果的に「男性の方が女性よりリーダーに向いている」との価値観を強化することに意図せずとも加担したことになる。

これは差別を内在した社会構造を変えない限りずっと続く。あなたはずっと(間接的であれ)加害者でいなければいけない。

こういった構造的差別について理解していれば、男性が「僕は女性差別をしていません」と口にすることはないだろう。なぜなら、その男性がもし本当に(直接的には)差別をしていなかったとしても、現在の男性優位社会においては嫌でもその構造に加担してしまっていることを同時に理解しているはずだからだ。

ちなみに、構造的差別を理解していないことをあらわにしてしまう男性の発言は他にもあって、「うちの家は男女平等だ(むしろ妻の方が強い)」とか、「うちの会社の社長は女性なので問題ない」などといったものが典型例としてあげられる。あなたの家や会社がどうであっても、社会に構造的女性差別があれば、男性は常にそれに加担させられることを理解しなければならない。

テニスプレーヤーの大坂なおみさんは、Black Lives Matter(BLM)運動に参加する際、次のような発言をしていた。

「人種差別主義者でない」だけでは不十分です。反人種差別主義者でなければなりません

「自分が差別をしない」だけでは社会から差別は無くならないし、もし自分が構造的に加害者の側にいるならば、意図せずともその差別に加担させられてしまう。それが嫌なら反差別主義者になって、積極的に差別を無くすように取り組んでいかなければならない。

僕は誰にも差別の被害者になってほしくないし、自分が差別に加担するのも嫌だ。さらには、今の社会構造を維持することでこれから生まれてくる女性を被害者にするのも嫌だし、これから生まれてくる男性を(生まれながらに)加害者側に置くこともしたくない。その実現には構造的差別を無くす必要があって、そのためには「自分が差別をしない」だけではなく、積極的に構造を変える取り組みが必要になる。

僕が雑誌にジェンダーギャップについて寄稿したのも、お店としてジェンダーギャップの解消へ向けた取り組みをしているのも、反差別運動のひとつだと思っている。

どうかこれを読んだみなさんも一緒に取り組んでください。僕は勉強を続けてできることに取り組んでいくけれど、ひとりでも多くの、とくに男性の参画が、社会を早く変える大きな力になると思います。


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