「自分だけが正解」と思ってはいけないけど、「自分なりの正解」は持っていたい
こないだ友人のAさんと「ネットで自分の考えを発信すること」について話をした。
僕がSNSやニュースレターで色々と書いたりしているのをAさんは見てくれているそうだ(嬉しい!)。そこで僕が「Aさんも自分の考えについて発信してみるのはどうですか?」と尋ねると、「してみたいとも思うけど、自分が発信したことに対して批判されたり、もし大勢に叩かれたりしたら耐えられないと思う。それに『自分の考えが正解だ』と思うのも違うと思うし…」との返答だった。
「批判や炎上が怖い」ということについては「それはそうだろうな」と思う。僕はかなり鈍感な人なのであまり気にならないのだけれど(批判されるのはむしろ好きな方かもしれない)、多くの人にとっては「避けたいこと」であるのは理解している。だから無理に発信する必要はないと思っている。
ただ、Aさんの「『自分の考えが正解だ』と思うのは違うのではないか」という部分について、僕は少し考え込んでしまった。
“僕は自分の考えが正解だと思っているから発信しているのだろうか?”
僕は考え考えAさんに返答した。今回は、そのとき話したことについて補足しながら書いてみる。
◇
ネット上では自分の意見を主張する人に対して、「自分が正解だと思うな」とか、「自分の考えと違う人のことは無視するのか」といった声が浴びせられることがよくある(僕もしばしば言われる)。こういった反応を見ていると「そうか、たしかに自分の考えが正解だと思うのは良くないことかも」と思ってしまいそうになる。
でも、自分の考えが正しいと思えないと当然それを発信することはできないし、発信しないとその主張を人に聞いてもらえないし、聞いてもらえないと考えに共鳴してくれた人と一緒に具体的なアクションを起こすといったことにもつながらない。つまり、社会は変わらない。社会の問題に対して自分の頭で考えているだけでは、その考えがどんなに重要であったとしてもそれは何ら問題の解決にはつながらないのだ。
だから発信は重要で、そのためには「自分の考えが正しいと思うこと」が必要になる。
もうひとつ、なぜ「自分なりの正解」が必要なのかと言えば、それがあるからこそ「相手の正解」と「自分の正解」を比較して、どちらがその問題に対してより適した解なのかを検討することができるからだろう。「自分なりの正解」を持っていなければ、有意義な議論を交わすことすら難しい。それに、場合によっては「ふたつの正解」を戦わせることで両方を超えたより良い正解が見つかるかもしれない。こうして(哲学で言うところの)弁証法的に問題をより高次な次元で解決するためには、まずは「自分なりの正解」を持つことが必要になってくる。
こうして考えてみると、本当に問題なのは「自分の考えが正しいと思うこと」ではなくて、「自分の考えが正しくないと分かったときに、その考えを変えないこと」なのだということが分かる。つまり、「自分なりの正解」を持つことは大切なのだけれど、その正解はあくまでも暫定的なものであり、いつでも更新(場合によっては撤回)する心構えをしておくことが重要なのだろう。
◇
現代は情報が多すぎて何が正解か分かりづらい社会だと言われる。でも、どんなに分かりづらくても、ひとつひとつ解決して社会を前に進める責任を僕たち大人は背負っている。
気候変動も戦争も経済不安もジェンダーの問題も、放っておいては解決しない。ひとりひとりがまずは勉強して自分なりの考えを持ち、できれば(無理は禁物!)それについて発信し、批判されたら相手の考えと自分の考えを比較してより良い考えを導き出す努力をする。そういった営みなしには、社会は前に進まない。
僕はいつも自分が正しいと思うことを発信している。その発信の裏には、そこに至る思考と根拠がある。でも、それは間違っているかもしれないし、もっと良い考えがあるかもしれない。もしそれに気づいたらいつでも考えを変えることができるようにしておきたいと思うし、場合によっては過去の発信について謝る覚悟も持っていなければと思う。
◇◇◇
今回の配信は、2022年最後の回になりそうです。いつもニュースレターを読んで(&聴いて)くださって、本当にありがとうございます(今回の配信で初めて見つけてくださった方はぜひ登録をお願いします!)。
来年もどうかご贔屓に。みなさま良い年をお迎えください。
(中村佳太)
◎お便りなど募集中◎
お便りフォームにて、あなたのお悩み、質問や感想など何でも受け付けています。それから、各配信のシェアやコメントも大歓迎です!
このニュースレターへの登録がお済みでない方は、こちらから登録をお願いします!