こんにちは。中村佳太です。
今回はいまどうしても書いておきたかったことを急遽配信します。
森喜朗氏(東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長)による女性蔑視発言への批判が大きなうねりとなっています。
批判の発端となった発言は以下です。全文はネットで読めますので、前後関係が気になる方はぜひ読んでみてください。
女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。〈中略〉女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。
この発言に対して批判が起こり、「森会長の処遇の検討を求める有志」によって立ち上げられた署名活動には2月9日午前現在で13万人以上の方が賛同しています(僕も署名しました)。署名活動以外にもジャーナリストや文筆家、アーティストなど様々な業界・立場の方々が声をあげていて、この大きなうねりが変革につながることを切に願っています。
一方で、残念なことに森氏の発言を問題視していない意見も散見されます。SNS上でも森氏の発言を「差別ではない」とする投稿・コメントが見られ、驚きと悲しみと苛立ちを感じざるを得ません。
今回はそれらの意見に共通して見られた理屈について、批判を加えたいと思います
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森氏の発言を「差別ではない」と考える人々の意見に共通して見られたのは、「実際に女性はよく喋る。森氏は事実を述べただけなのだから差別にはあたらない」というものでした。こういった意見を述べているのは男性だけではなく、女性からも同様の声があがっています。こういった人々は、「女性はよく喋る」と考える根拠についてしばしば説明を付けています。
Aさん:「女性ばかりで打ち合わせをすると実際とても長くなる」という経験論から判断している人
Bさん:女性が増えた職場ではコミュニケーションに問題が出る確率が高いという調査結果を理由としている人
Cさん:脳科学的に女性の方が話好きだとの理論を根拠とする人
などです。
ネットや各種メディアを眺めていると、Aさんのように科学的根拠は持たなくとも経験則から「女性はよく喋る」と感じている方はそれなりの割合でいるようです。
さて、ここで僕は「女性はよく喋るのか否か」を議論するつもりはありません。BさんやCさんの言及している調査結果や脳科学理論が正しいのかどうかも議論しません。なぜなら今回の女性蔑視発言の問題を考えるときにその議論は無関係だからです。
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どういうことでしょうか。
Aさんの経験則やBさんの言う調査結果、Cさんの言う科学的根拠のどれもが正しかったとしましょう。このときそれが示しているのは「女性という属性集団を見たとき、(男性という属性集団に比べ)よく喋る傾向がある」ということだけです。つまりそれは集団としての「傾向」であり、女性という属性集団に含まれるすべての人がその特性を持っているわけでは当然ながらありません。女性という属性集団の内部に目を向ければ、よく喋る女性も、あまり喋らない女性も、平均的に喋る女性も含まれています。当然のことです。その全体としての傾向について、AさんもBさんもCさんも述べているわけです(その真偽は定かではありませんが)。
今回の森氏の発言の問題点(のたくさんある内のひとつ)は「女性はよく喋る」、と「女性」を主語にして語ったことです。その言葉からは「あまり喋らない女性」や「平均的に喋る女性」は排除されています。
ここであなたがもし、
「あまり喋らない女性」や「平均的に喋る女性」は少数派じゃないか。少数派のこともすべて考慮していたら社会は回らない。自分は一般論として多数派の話をしているのだ
と感じたならばこの先はお読みいただく必要はありません。あなたは少数者を排除する差別的思考の持ち主であり、以降の文章はあなたのような思想の人には意味を持たないでしょう。(ちなみに、このような考えは以前僕が書いたエッセイ「男性の僕がフェミニズムTweetをしたらバズったので反応をまとめて分析し反論もします」の中での分類「4」に該当します)
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つまり、森氏の発言を「差別ではない」と考える人々の根拠である「実際に女性はよく喋る」という理屈は、(どのような理屈であっても)一部の女性の話に過ぎず、今回の発言を「女性」を主語にして語った時点で必ずや差別された人々、排除された人々が存在する以上、決して許されるものではないのです。
このことは「女性は競争意識が強い」という発言に対しても全く同じことが言えます。
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加えて、もし「女性という属性集団はよく喋る傾向(あるいは競争意識が強い傾向)」が存在した場合、「なぜその傾向がその集団に生じたのか」まで遡って考える必要があります。
その背景に、たとえば次のようは社会状況が存在する可能性はないでしょうか。
男性がしたならばすぐに受け入れてもらえる説明を、女性の場合には長い時間をかけて説得しなければ受け入れてもらえない
男性はしがらみが多く発言できない場面でも、女性は派閥などに参加しにくいので積極的に発言できる
こういったことが「女性という属性集団がよく喋る傾向」の背景にあった場合、そもそもそれは男性優位社会がその原因だということになります。
もちろん、そういったことは一切関係なくその傾向が生じた可能性はあります。ただ、少なくともその傾向を非難するのであれば、上記のような可能性を考慮に入れた上で発言する必要があります。なぜなら、もしも男性優位社会が「女性という属性集団がよく喋る傾向」を生み出しているとするならば、男性たちにそれを批難する権利はないからです。女性たちを批難する前に、男性たちは男性優位社会の廃止にこそ取り組まなければいけないということもあり得るわけです。
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森氏の発言を「差別ではない」と考える人々は、その根拠が「傾向」の話しかしていないことを理解しなければいけません(その傾向が事実かどうかも疑った方がいいでしょう)。そして、傾向を頼りに主語を「女性」として語った場合、必ずそこから排除される人が生まれることを認識する必要があります。さらに、その傾向が実際に存在したとしても、その背景に男性優位社会が要因として存在している可能性がないかまで考慮しなければなりません。
上記のことから、今回の森氏の発言を「差別ではない」と考えることは本来到底不可能なはずです。
この文章が、森氏の発言を「差別ではない」と考える人々がその考えを見直すきっかけになることを切に願います。
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初めまして。
こちらの記事を拝読し、最近Twitterで見かける「女性が過去に男性からの性加害を受けたこと(あるいは性加害があることを事前に学んで)を理由に、見知らぬ男性に対し警戒感を抱き、自衛する」事例に対し、少なくない男性側が「(そうでない男性が大多数なのに)女性が男性に対しそのような態度をとるのは差別だ」と口々に言うのを思い出しました。
直接的な痴漢被害を訴える女性の声に対しても似たような話が多く「俺はやってないのにそんな風に警戒されるのは理不尽だ、差別だ」もよく見るコメントです。
この場合、女性が「少数派の性加害男性」を警戒するために「男性という属性」を警戒するという構造なのですが、この記事の理屈に沿うと男性側の「差別だ」(ノットオールメン)に正当な理由がついてしまう(本当は別の理屈があるのかも知れませんが女性が声を上げることに対し普段からよく思わない男性から「そら見たことか」という曲解に利用される)ように思いました。
記事の内容については概ね同意なのですが、そこへのカウンターとして使われはしないか、いささか心配です。
他の記事も拝読しましたが、よい記事をありがとうございます。これからも頑張ってください。
私がこの記事を読んで、同意すると同時に想起したことは以下のことです。
それはこの属性集団全体への傾向という個人を無視した女性への認識が、血液型性格占いの構造上の杜撰さに似ているということです。そもそもが不確かな傾向や、その拙劣なバイアスに満ちた枠組みでの思考による判断で、集団全体に(占いの場合は謝った)印象を付与していますね。
ですがその理屈で考えて、血液型性格占いで相手を蔑視する人は通常いませんが、女性蔑視を肯定や容認したり、あるいは否定できなかったりする人がいるのは、やはり矛盾ですね。
徹頭徹尾破綻した論理で捉えているのがわかります。
おもしろい記事ありがとうございました