有名芸能人たちが今月末の衆議院議員選挙に「投票しよう!」と呼びかける動画が話題になっている。
政府や企業などによる広報ではなく、本人たちが有志で立ち上げたプロジェクトとのことだ。ツイッターの投稿は5万「いいね」&3万リツイートを超えていて、大きな広がりを見せている。僕も動画を見て、素直に共感した。「投票を通じて政治に自分たちひとりひとりの声を届けよう」という参加者たちの強い意志を感じて、同じように考えている者として共感せずにはいられなかった。
ただ、この動画の広がりを眺めていた僕は、時折なんとも言えないモヤモヤを感じた。「動画には間違いなく共感する。なのにこのモヤモヤは何なのだろう?」と考え込んでしまった。しばらく考え続けて、ようやくモヤモヤの正体を突き止めた。今回はそのことを書こうと思う。
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考え続けて気がついたのは、僕のモヤモヤは動画そのものに対してではなく、動画を賞賛し拡散している人々に中に見られた(一部の)声に対してだった。
動画には様々な賛同の声が寄せられていたが、その中に次のようなものが多数含まれていた。
「芸能人なのに政治について声を上げてすごい!」
「芸能人は政治的な発言をタブーとされているけど、それを打ち破って偉い!」
僕はこういった言葉にモヤモヤしていることに気がついた。なぜなのか考えてみると、それは次のような場面での違和感と同様だと思い至った。
「男性パートナーが育児を手伝ってくれるなんてすごいね」
「男性なのに料理が出来て偉い」
「男性が女性差別に反対の声を上げて素晴らしい」
性別を問わず、これらの言葉にモヤッとした経験がある人は多いと思う。なぜこれらの言葉が僕たちをモヤらせるのかと言えば、それは、これらの言葉の背景に「家事/育児は主に女性がするもの」とのステレオタイプ・性別役割分業意識が社会に蔓延してしまっている状況があるからだろう。だからこそそれを打ち破った男性が褒められる。しかし、実際には男性は家事/育児を行うのが当然であって「すごい」「偉い」と言われるようなことではないはずだ。女性であれば「家事/育児をするのは当然」と褒められることはないのに、男性がそれをしたときだけ褒められるのはおかしなことだ。
また、3つ目の「男性が女性差別に反対の声を上げて素晴らしい」に関しては、「男性は性差別について非当事者であり、関心を持たないのが普通」との(残念な)状況があるからこそ、女性差別に対して反対の声を上げた男性が賞賛される。しかし、実際には性差別に関して男性は差別を受けなくてすむ特権側あるいは加害者側にいて、その構造的差別の中ではあきらかに(加害者側という)当事者であって、差別を無くすように取り組むことは当然のことのはずだ。加害者側が差別を無くすよう声を上げたとき、それが賞賛の対象になってはいけない。「当たり前のこと」として受け止めなければならない。
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話を冒頭の動画に戻す。動画で「投票しよう!」と呼びかけた芸能人たちの行動が賞賛されるのはなぜか?
それは、芸能人というのは様々な理由(ファンを失う/スポンサーが嫌がるなど)から政治的な発言はしにくい状況であることを多くの人が知っていて、だからそれを打ち破った彼人らの行動を「芸能人“なのに”偉い」と褒めたくなるのだろう。でも考えてみれば、「投票しよう!」という呼びかけはこれまで多くの専門家やインフルエンサー、一般の人々も声を上げ続けてきた。しかし(一部を除き)多くの芸能人たちは声を上げてこなかった。自分たちが影響力を持っていることを知っているにも関わらず目を背けてきたのだ。
政治は誰しもが当事者であることは当たり前で、芸能人だって別の世界に住んでいるわけではない以上、彼人らも当事者だ。にもかかわらず、芸能人が声を上げることを賞賛するのは、しがらみを持つ芸能人たちに一般の人々が忖度しているということなのだろう。
これは、本来やるべきこと(家事/育児、女性差別への異議申し立て)をやってこなかった男性たちが、やって当然のことをしたときに褒められてしまう構造と同じだ。
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本来、芸能人たちはもっと早く声を上げるべきだった。
おそらく今回の動画に参加した芸能人たちは、そのことを分かっていると思う。だから、彼人らも褒めてほしいとは思っていないはずだ(たぶん)。
僕たちがあの動画に対して取るべき行動は、彼人らを賞賛することではない。今後のより積極的なアクションを期待しつつ、自分たちは粛々と投票に行くことだろう。
きっとそれをあの芸能人たちも望んでいるのではないだろうか。
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中村佳太[Twitter:@keitanakamu]
早くオンライン投票ができるようになりませんかね。
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中国のように政治的な主張をすると政府から圧力をかけられる、そんな国でも自身の政治主張を訴える人もいます。
日本においてはそこまでの圧力はなくとも芸能人は自分がなにかをすることで家族も巻き込んで色々な視線を世間から向けられることをスポンサー云々より恐れていたと思います。(所属事務所はスポンサー云々のことがとても大切だったでしょうが。)
このムーブメントが一過性のものでなく、政治に無関心でいることがクールであった時代が終わり、自分の主張を持ち、伝え、行動する人がクールだというスタイルが令和に投票権を手にする人たちに広がっていくキッカケになれば嬉しいです。